伝説の猛虎戦士 仲田幸司 只今”登板中”
(撮影:北條貴史)(スポーツニッポン新聞社)
彼は83年ドラフト3位で阪神に入団し,日本一になった85年5月12日のヤクルト戦で
初勝利を完封で飾った。
88、89、93年と3度の開幕投手を務めた。
今は、工事現場監督として街づくりの第2の人生に全力“登板”中。
彼の一日の作業は朝早く始まる。
ミーティングで作業内容の確認と安全注意事項について報告を受け、注意を促す。
現場を統括するゼネコンの責任者と打ち合わせし工事の進捗(しんちょく)をチェックする。
担当するのは主に基礎部分。一つの油断が建物の安全性、耐震性に影響するから気が抜けない。基礎部分の杭(くい)の本数や深さ、コンクリートの量が設計通りか、常に確認し細かく写真を撮り万全を期す。
マイクこと仲田 幸司さん。
たまたま彼がマウンドに立っているときの試合で、ストライクが全然入らない場面を見たことがある。つまり、ノーコンだ。
その試合の内容は今も鮮明に頭に残っている。試合をぶち壊す寸前だったのだ。
だから、僕は彼を阪神のエースだとは思いたくはない。今もそう思っている。
引退後は、彼をテレビの画面で野球解説やバレエティ番組を通してよく見ていた。
ところが意に反して僕の予想をはるかに上回る弁舌さわやかに喋る彼をみて、
人は身をおく場所さえ間違えなければその才能が開花することを知った。
しかし、その後、突然、ブラウンからいつの間にか消えていったのだ。
理由はわからない。
急に姿が見えないと思ったら、いま、建築会社で働いて居ることを知った。
人懐っこい笑顔は変わらなかった。
重機が行き交い作業員が慌ただしく動く建築現場で、ヘルメットをかぶった仲田は現場を指揮していた。
開幕投手を3度務め、1992年に14勝した男は、今、56歳。
建築現場の現場監督として事故は絶対に起こさない信念の下、汗を流す。
「どんなときでも胸を張ってやっていく」――。
エールを送られながら、仲田は現場を守っているのだ。
そんな時に声をかけてもらったのが掛布雅之。「一度きりの人生。マジメに取り組め」「山河企画」を紹介された。
「中途半端なままでは、応援してくれる人、現場の人に迷惑をかける。もう逃げない」。仕事に打ち込むことを誓い、現在に至る。
応援しているのは掛布だけではない。「マイク、元気か。メシを食おう」と昨年、
連絡をくれたのが笑福亭鶴瓶だった。
野球との関わりは現在も続いている。
日々の仕事をしながら、仲田は社会人のクラブチーム「京都ジャスティス」
で投手コーチを務める。
<スポニチアネックス>より一部抜粋
仲田 幸司
92年には自己最多の14勝をマークし
95年オフにFAでロッテ移籍したが未勝利のまま97年に現役引退。通算335試合登板で
57勝99敗4セーブ。阪神時代は背番号48と34。1メートル82、80キロ(現役時代)。
左投げ左打ち。