風見鶏の独り言

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いつだったか幼稚園の園児の声がうるさいと、近隣の住民からの訴えがあったと言う新聞記事を読んだ記憶がある。情けない話だ。

他愛のない幼子の声にいちいち難癖をつける大人の神経がわからない。よほどの事情があればこれは又、別の話だが・・・。

そのせいか、最近は住宅地の近くには保育園や幼稚園はあまり見当たらないような気がする。少し離れている。

真夏の暴走族のオートバイの爆音、飛行機の爆音、それらの音にも訴訟沙汰である。

集合住宅の二階の騒音にも悩まされる家庭もあるだろう。これは訴訟にはなっていない。

それらの騒音、雑音を取り上げていたらきりがない。

詳しくは知らないが、今度の三度目の非常事態宣言でJリーグのサッカーとプロ野球の試合は無観客ですることが決まったらしい。なんとも味気ない話である。

これもコロナのせいだが、それらの試合に欠かせない笛や太鼓、トランペットを鳴らしての応援も凄まじい騒音だが、ナイターの場合は午後九時以降の鳴り物は禁止されている。

いかなる場合でも、節度が守られていれば苦情はおこらないのではないか。

こんな記事を見つけた。

住民がカエルの騒音の差し止めや駆除を求めた訴えについて、東京地方裁判所は「カエルの鳴き声は自然音で騒音には当たらない」として退ける判決を言い渡しました。

東京 板橋区に住む住民は、隣の家の庭の池でカエルが繁殖し深夜まで鳴き声がうるさいとして、隣の住民に対し騒音の差し止めやカエルの駆除などを求める訴えを起こしました。

訴えを起こされた住民は「池には6、7匹のアマガエルが生息しているが、オタマジャクシやカエルを外から持ち込んでいない。

騒音には当たらない」と主張し争っていました。

これについて東京地方裁判所の益留龍也裁判官は判決で「仮にうるさい音が発生していたとしてもカエルの鳴き声は自然音の1つだ。あえて大きな音をわざと発生させるなど特段の事情がないかぎり騒音には当たらない」と指摘し、住民の訴えを退けました。

人工的ではない騒音に対して訴えを起こした住民の言い分は随分とピンとはずれだと思う。いわゆる風の音や雨音みたいなもので、自然の音には我々人間はは抗しがたいものなのである。

空気を無くしてくれと言っているみたいな乱暴な話だ。

それにしても人工的な雑音・騒音が多すぎる。人が生活をするうえで、必要不可欠なものもあるだろうが、そうでない耳を塞ぎたくなるような音には我慢ができない。

ついでに古女房の小言も雑音・騒音である。それに耐え忍んで日を送っている。