風見鶏の独り言

日常の雑事を発信

62年前の喜劇映画・駅前シリーズを考える あるものねだり・ないものねだり 淋しい現実

今は昔、60年ほど前に流行った映画全盛期の作品で、”駅前シリーズ”というのがあった。
2649542_s.jpg
調べてみると、この”駅前シリーズ”という作品は、1958年、と言うから今から62年前の第一作"駅前旅館”からはじまり、1969年の最後の作品”駅前桟橋”まで合計24本も続いたシリーズである。
多い年で年間3本の新作が上映されている。こんなに続いたシリーズものは日本の映画史上では初めてではないだろうか。
それらのシリーズに出演している俳優も多彩だ。
 
重鎮おり喜劇俳優おり、ほとんどのシリーズに出演している。ほとんどの方が鬼籍に入っているが、今、こんな俳優は残念ながら日本にはいないのではないか。
 
どの作品も昭和の日本ののんびりした良き時代を背景にした、庶民の生活を写しだしている。
 
出演している役者がその役になりきり、観ていてとにかく面白い。退屈もしない。自然体で演じているように見えるから不思議である。違和感を少しも感じない。
 
今、日本の映画でこんなにほのぼのとした作品はあるだろうか。
 
それより、当時のような名だたる俳優がいるだろうか。指を折っても折る人物が見当たらないのだ。
 
ある作家や評論家が、今の日本の小説や映画について、何かの対談で”どれをとっても東京の青山通りのような軽薄な作品ばかり””タイトルにやたらと横文字がつかわれ軽い感じがして重みがない”と評している。
 
ちょっと名の売れた俳優が、寸劇をやりながらCMに出ているのを見ると興ざめする。軽い俳優ばかりだ。
 
目を転じて時代劇を演じる俳優を探した。数人である。
 
あの名作”羅生門””椿三十郎””七人の侍””柳生一族の陰謀””切腹””用心棒””座頭市”etc。この映画に出演したような俳優は今、いない。
 
時代が時代だから仕方がないと言えばそれまでだが、これからはデジタル的な映画が流行るのであろう思う。