磨く 心を磨く 珠玉の瓦礫に在るが如し
昔はトイレのことを”ご不浄”と言った。
ご不浄に行ってきます。
トイレに行くことをそう言ったらしい。
トイレに行くことをそう言ったらしい。
不浄とはつまり、汚い、臭い、不衛生という意味。
だからトイレ掃除は今と違って大変勇気のいることだったに違いない。
誰にでもできる作業ではない。
不浄の頭に”ご”をつけたのは不浄を単なる汚物処理場ではなく、
敬愛の意味を含めて”ご”をつけたと思われる。
敬愛の意味を含めて”ご”をつけたと思われる。
今でも駅とか公共の場で清掃作業に従事している人には頭が下がる。
大変な作業だ。
そんな人達に僕も含めてだが、誰も感謝しているとは思えないのだ。
綺麗なのが当然だと思っている。恥ずべきでる。
綺麗なのが当然だと思っている。恥ずべきでる。
こんな歌がいっとき流行った。
トイレの神様””という歌である。
最初はまぁなんとも変わった歌ぐらいにしか思わなかったが、
歌詞をよく聞いていると、なんとも含蓄のある歌詞だと分かった。
歌詞をよく聞いていると、なんとも含蓄のある歌詞だと分かった。
道徳的でさえ思う歌詞である。
歌詞はこうである。
♫小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
べっぴんさんになれるんやで
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた♫
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた♫
哀愁さえ感じる歌である。
話は変わるが、似たような行動をしている団体がある。
橋拭きは毎月第4土曜の午後5時から約1時間。3月は桜城橋(さくらのしろばし)に
大人から子供まで約20人が集まる。
大人から子供まで約20人が集まる。
橋は幅19メートルで歩行者用。路面や欄干が乙川上流の額田地区産のヒノキで覆われている。
ぬれぞうきんを絞って、片方の欄干から反対側へ、学校の廊下掃除のように手をついて横切る。
勢い余って転ぶ子も。モップで拭く大人もいる。
勢い余って転ぶ子も。モップで拭く大人もいる。
「ゴシゴシすると橋に愛着がわきますから」と、主宰者で市内在住の宮川洋一さん(50)は話す。
県職員で、長く橋の建設や管理に関わってきた技術者でもある彼は、職員間の勉強会「あいち橋の会」の事務局を務める。
西三河建設事務所勤務だった時に、桜城橋の200メートルほど下流にある殿橋の補修工事に携わり、
「昭和2(1927)年に造られた橋が現役で残っているのはすごい。みんなにも知ってもらうために何かしたかった」。
他県で橋を拭いている事例を知り、2019年夏に殿橋の欄干などを拭いてみた。
昨年3月に開通した桜城橋は車が通らないので拭き作業がしやすい。
きれいに汚れを拭き取るというより、ワイワイとイベントを楽しむ雰囲気。
作業後に宮川さんが橋のうんちくを語ったり、橋から月を観賞したりする。
作業後に宮川さんが橋のうんちくを語ったり、橋から月を観賞したりする。
「負担になってはいけないので、できる範囲でやっていきたい」と宮川さん。
息の長い活動にして、いつか長さ121・5メートルの橋に参加者がずらりと並んで、
一斉にぞうきんをかける光景を夢見ている。(松本行弘)
<朝日新聞社>
この橋磨きもトイレの神様によく似ている、
誰が通ったかもわからない不浄の橋を、ただ単に磨くのではなく、
それは自分自身を磨いていることに通じてはいないだろうか。