風見鶏の独り言

日常の雑事を発信

ビッグ考

新しく誕生したケバケバ男こと、日ハム・新庄監督をビッグボスと呼ぶらしい。
彼の力量のほどはわからないが、それはそれで、来季の日ハムが見ものです。

翻って先日行われた衆院選挙で誕生した、代議士先生様。
”大口をたたくこと。大言壮語。また、やかましくしゃべる人。口の軽い人。ほら吹き。”といわれる
ビッグマウスにならないよう お頼み申します。

ハンカチーフ考 

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15年前、夏の甲子園を沸かした”ハンカチ王子”こと斎藤佑樹プロ野球日ハムを引退した。
あの灼熱のマウンドでハンカチで額を拭っていた彼の姿は今も鮮明に脳裏に残っている。
プロに進んだものの怪我に泣かされ、思うように活躍できなかったが、引退を惜しむファンも多い。
公式戦最後の投球を終えてベンチに帰った彼は、流した涙に万感の思いがあったろうと思う。
♫アカシアの花のしたで
  あの娘がそっと
   まぶたを拭いた
    赤いハンカチよ
♫ねぇ、涙を拭く木綿の
 ハンカチーフをください
  ハンカチーフをください
 ハンカチはその人その人にとって
  人生そのもの、かもわからない。
 斎藤佑樹君、次の人生の舞台で
   また、しっかり汗を拭ってください。

なにもいいことがなかった、なにもいいことがない

なにもいいことがなかった、なにもいいことがない。
収まりのこないコロナ禍。増え続ける感染者の数。
なにも手を打てない為政者。
来る日も来る日も同じお題目ばかり。
無為無策を恥とも思わない無能者の鉄面皮。
未曾有の雨量が町を、田畑を飲み込む恐怖と絶望感。
土砂崩れで孤立無援の集落。
毎年繰り返される悲劇の修羅場。
京都の大文字送り火。魂を送る儀式がコロナ禍で縮小して今年も。
明日も大雨の予想。
なにもいいことがなかった、なにもいいことがない、わが日本。

イボ 角質の蓄積 確執の蓄積

爪もそうだが最近、毛髪の伸びが早いような気がする。
特に爪の伸びが尋常ではないように思う。早い。ついこの間、爪を切ったばかりなのに、
ふと指をみるともう爪が伸びているのでる。
そんなことで、思い切って短髪にしようと思いバリカンでの散髪を頼んだ。
刈り落とした後の頭の軽いこと。顔相も一変したかのように見えた。
鏡に右横、左横とを映してみた。ところが、左の側頭部に黒い斑点が点在していることに気づいた。
短髪だからよく分かる。”なに、これって”思わず口走った。
すかさず店員が”お客さん、それはシミです。人間歳をとれば誰でもシミが出ます”
後日、定期検眼で通ういきつけの病院の皮膚科で診てもらったら、こめかみのすぐ横の大きな斑点はシミではなく、
イボだといわれた。
”平面の黒い斑点はシミ、ちょっとブツブツがでているのはイボです”
液体窒素スプレー」なるものをそのイボにかけておらった。二週間後にまた診ます。
二週間後にまたスプレー。
こころなしかイボは薄くなったような気がするが、点在するシミはシミのままである。
気にしないことにした。歳のせいだ。まだそんな歳ではないぞ。反論しつつも、自分に言い聞かせ慰める。
真偽のほどは知らないが、イボにはハトムギが良さそうである。
そもそもイボができる原因とは?
イボは「古い老廃物」や「古いシミ」が固まり角質粒になったもの。
本来は肌のターンオーバーによって古い角質は剥がれ落ちる。
だが、年齢や紫外線などの影響でターンオーバーの乱れることが原因で蓄積されてイボになる。
ターンオーバーは年齢を重ねるとどんどん遅くなるらしく・30代後半辺りから首~デコルテに小さなイボの
ようなものが出来やすくなる。
・ふと首や顔を触るとポツポツしたものがある
・首元の広い洋服だと気になってしまう
・簡単にイボケアをしたい
・イボ+イボのあとのスキンケア、エイジングケアを
そんなときにはクリアポロン

両雄並び立つ 海援隊と三菱財閥 運命の出会い

龍馬のつくった「私設艦隊」がかの有名な海援隊です。
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海援隊というのは、簡単に言えば「龍馬ら隊士たちは、平時は船団を率いて貿易業などをおこない、
戦争になれば海軍となり土佐藩を助ける」「土佐藩は、隊士たちに給料を払ったり、
船を提供したりするなどの便宜を図る」というものでした。
土佐藩海援隊に対する資金援助は、具体的に言えば、隊士一人あたり月5両の支給であったそうです。
海援隊が創設されると、その会計係になったのが、岩崎弥太郎でした。
 
岩崎弥太郎とは、もちろん三菱財閥の創業者のことです。
 
弥太郎は龍馬よりも1歳年上で、土佐藩で身分の低い地下浪人の家に生まれました。
 
弥太郎の岩崎家は、困窮のために武士の家格を売ってしまい、地下浪人になっていたのです。
 
しかし、地下浪人だった弥太郎は、やがて土佐藩の役人としての道が開かれたのです。
 
はじめは下横目という、もっとも下っ端の役人に取り立てられましたが、事務処理能力の高さからとんとん拍子に出世していきます。
 
慶応3年には、長崎の土佐商会の会計を任されるようになりました。
 
弥太郎がちょうど長崎に赴任したとき、龍馬の海援隊が当地で発足したのです。歴史のいたずらか。時の運か。
 
土佐商会の事実上の責任者は弥太郎だったので、必然的に海援隊の会計を取り仕切ることになったのです。
 
海援隊は一人あたり毎月5両の給料を土佐藩からもらうことになっていましたが、
その給料を支払う役目を弥太郎が担っていたのです。
 
海援隊の初めの給料日のとき、弥太郎は、給料を受け取りにきた海援隊士に100両渡しました。
しかし、その100両を受け取った後、龍馬から弥太郎のもとに「俺の給料はどうした?」という使いがきました。
弥太郎は「海援隊士は全部で16人だから、100両で十分なはず。後藤もそれでいいと言った」と言い返しました。
 
これに対して龍馬は「隊長の給料は別だ」と言い返しました。
 
弥太郎は仕方がなく、自分からの餞別として、金50両を龍馬の元に持って行ったのです。
ふたりの交流はその頃からあったようです
 
後年、弥太郎のつくった「三菱」は、龍馬の発想を受け継いだ、と多くの歴史家から言われています。
 
実際、弥太郎は、明治維新以降、海援隊の船などを引き継ぎ、瀬戸内海の海運業を一手に引き受けることで、
 
三菱財閥の基礎を築いていったのです。
まさに龍馬がやろうとしていたこと、そのものだったのです。
弥太郎は、龍馬と酒を酌み交わすほどの関係だったからこそ、龍馬の発想を受け継ぐことができたと言えます。

人生八卦 はっけよい

当たるも八卦 ハズレも八卦
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人生博打 八卦の塊 
競輪 競馬 競艇 みな八卦 
嘘をつくのも八卦
生きるも八卦 死ぬるも八卦
コロナに感染も八卦
オリンピック成功も失敗も八卦
エライさんの嘘がバレるのも八卦 
 「不正行為は隠蔽(いんぺい)し、証拠文書は改ざんし、
虚偽答弁は当たり前、あることないこと捏造(ねつぞう)し、
忖度(そんたく)しない公務員は追放し、報道機関はどう喝し、
捜査機関は手なずけて、追及されてもはぐらかし、
後は国民が忘れるのを待つ」。
               小沢一郎八卦集より