安らぎ
コロナ感染が今、落ち着いています。
次の第六波までのつかのまの安らぎのひとときかもしれません。
ここを先途と思い切り羽を伸ばし旅行をする人のなんとおおいことか。
北へ南へ安らぎを求めて・・・。
イボ 角質の蓄積 確執の蓄積
爪もそうだが最近、毛髪の伸びが早いような気がする。
特に爪の伸びが尋常ではないように思う。早い。ついこの間、爪を切ったばかりなのに、
ふと指をみるともう爪が伸びているのでる。
そんなことで、思い切って短髪にしようと思いバリカンでの散髪を頼んだ。
刈り落とした後の頭の軽いこと。顔相も一変したかのように見えた。
鏡に右横、左横とを映してみた。ところが、左の側頭部に黒い斑点が点在していることに気づいた。
短髪だからよく分かる。”なに、これって”思わず口走った。
すかさず店員が”お客さん、それはシミです。人間歳をとれば誰でもシミが出ます”
後日、定期検眼で通ういきつけの病院の皮膚科で診てもらったら、こめかみのすぐ横の大きな斑点はシミではなく、
イボだといわれた。
”平面の黒い斑点はシミ、ちょっとブツブツがでているのはイボです”
「液体窒素スプレー」なるものをそのイボにかけておらった。二週間後にまた診ます。
二週間後にまたスプレー。
こころなしかイボは薄くなったような気がするが、点在するシミはシミのままである。
気にしないことにした。歳のせいだ。まだそんな歳ではないぞ。反論しつつも、自分に言い聞かせ慰める。
真偽のほどは知らないが、イボにはハトムギが良さそうである。
そもそもイボができる原因とは?
イボは「古い老廃物」や「古いシミ」が固まり角質粒になったもの。
本来は肌のターンオーバーによって古い角質は剥がれ落ちる。だが、年齢や紫外線などの影響でターンオーバーの乱れることが原因で蓄積されてイボになる。ターンオーバーは年齢を重ねるとどんどん遅くなるらしく・30代後半辺りから首~デコルテに小さなイボのようなものが出来やすくなる。
・ふと首や顔を触るとポツポツしたものがある
・首元の広い洋服だと気になってしまう
・簡単にイボケアをしたい
・イボ+イボのあとのスキンケア、エイジングケアを
そんなときにはクリアポロン
両雄並び立つ 海援隊と三菱財閥 運命の出会い
龍馬のつくった「私設艦隊」がかの有名な海援隊です。
海援隊というのは、簡単に言えば「龍馬ら隊士たちは、平時は船団を率いて貿易業などをおこない、
船を提供したりするなどの便宜を図る」というものでした。
弥太郎は龍馬よりも1歳年上で、土佐藩で身分の低い地下浪人の家に生まれました。
弥太郎の岩崎家は、困窮のために武士の家格を売ってしまい、地下浪人になっていたのです。
しかし、地下浪人だった弥太郎は、やがて土佐藩の役人としての道が開かれたのです。
はじめは下横目という、もっとも下っ端の役人に取り立てられましたが、事務処理能力の高さからとんとん拍子に出世していきます。
慶応3年には、長崎の土佐商会の会計を任されるようになりました。
弥太郎がちょうど長崎に赴任したとき、龍馬の海援隊が当地で発足したのです。歴史のいたずらか。時の運か。
土佐商会の事実上の責任者は弥太郎だったので、必然的に海援隊の会計を取り仕切ることになったのです。
その給料を支払う役目を弥太郎が担っていたのです。
しかし、その100両を受け取った後、龍馬から弥太郎のもとに「俺の給料はどうした?」という使いがきました。
弥太郎は「海援隊士は全部で16人だから、100両で十分なはず。後藤もそれでいいと言った」と言い返しました。
これに対して龍馬は「隊長の給料は別だ」と言い返しました。
弥太郎は仕方がなく、自分からの餞別として、金50両を龍馬の元に持って行ったのです。
ふたりの交流はその頃からあったようです
後年、弥太郎のつくった「三菱」は、龍馬の発想を受け継いだ、と多くの歴史家から言われています。
三菱財閥の基礎を築いていったのです。
まさに龍馬がやろうとしていたこと、そのものだったのです。
弥太郎は、龍馬と酒を酌み交わすほどの関係だったからこそ、龍馬の発想を受け継ぐことができたと言えます。